英文法は生長する

見つめあうか、一緒に同じ方を見るか

『星の王子さま』で知られるアントワーヌ・サン=テグジュペリは「愛」について以下のような名言を残した。

愛するということは、互いを見つめることではなく、一緒に同じ方向に目を向けること

『英文法を哲学する』1の著者である佐藤良明は、この名言を引き合いに出して、日本語と英語の違いを述べている。つまり、日本語は互いに見つめあう言語であり、英語は一緒に同じ方向に目を向ける言語であると。それは一体どういうことか?

たとえば、次の日本語文の英語訳を考えてみてほしい。

ここはどこ?

もしこれを Where is here ? と訳したなら、読者は「互いに見つめあう」言語で考えていることになる。この例文を正しく訳そうとするなら、

Where am I ?

となる。これはただ言い方が違うということではなく、「世界の捉え方」がそもそも違うのだ2

日本語:自分がカメラになって外の風景を映す言語
英語:外から、もう一人の自分が自分を眺める言語

自分がカメラになると当然カメラ自体は風景に映りこまないから、日本語では話し手自身の存在が言語化されない。他方で英語では、地図上で自分の位置を把握するように「自分はどこか?」という発想をする。だから「私(I)」が表出するのだ。

この点をとらえて佐藤良明は、日本語を対人言語、英語を空間言語と呼んだ。

とくに、日本語では話者が相手との関係(上下や親疎)の認識を確定しないと安定しない言語だ。

*つまらないものだけど、皆さんで頂いて

と言うのは、対人関係を確定させようとして失敗した例である。お客さんを立てるには謙譲語の「頂く」ではなく、尊敬語で「召し上がって」と言うべきだ(「*」は非文や不自然な文を表すとする)。とかく、日本語は対人関係にこだわり、見つめ合う言語である。

英語は事実を確定させたい

他方で、英語は事実を確定させたがる。例えば次の文。

“He hasn’t much faith.”
“No,” the old man said. “But we have. Haven’t we?”
“Yes,” the boy said.

ヘミングウェイの『老人と海』3に出てくるこの会話。ChatGPTに翻訳させてみよう。

「彼はあまり信じていないんだね。」
「そうだな」と老人は言った。「でも、私たちは信じている。そうだろう?」
「うん」と少年は言った。

ここで違和感を覚える人がいるかもしれない。「彼はあまり信じていないんだね」と言われて No と言っているのに、なんで「そうだな」という肯定になるのか、と。

ここではいったい何が否定されるのか、日本語と英語の違いを考える必要がある。

日本語は対人言語だ。だから、相手の言ったことに対して「そのとおり」というのか、それとも「違います」という反応をする。だから、「あまり信じていないんだね」と聞かれたとき、「はい」と言えば相手の言ったことと同じ「信じていない」ことを表し、「いいえ」と言えば相手の意見とは違って「信じています」となる。

しかし英語は空間言語であり、事実に対して Yes か No かを表明する。つまり相手の言ったことに応答するのではなく、「信じている」という内容に対して Yes か No かを言うのだ。だから Yes という時はそのまま「信じている」ことを表し、No と言えば「信じていない」となる。ゆえに、結果は日本語とあべこべになる。

英語文は対人関係ではなく事実を述べようとする。その事実自体が Yes なのか No なのかに関心を寄せるのだ。いわば英語文は「命題」( Yes か No かを問える文)のつくりをしていて、事実を確定することによって文が安定する。佐藤氏いわく、「英語の記述は命題に収まろうとする」のである。

もちろん、神様ではない人間にとって、なんでも Yes/No キッパリと判断できることばかりではない。判断に自信が持てないこともある。しかし英語は無策ではなくて、そういった明確な判断を避けるために、仮定法や助動詞といった文法事項が存在するのだ。ここでは深く追わないが、佐藤氏の『英文法を哲学する』の第一章には、その仕掛けについて説明されている。

SVOのスリーステップ

こんなにも日本語と英語は違う。そして、その最たる違いは語順に現れる。

He read a book.
彼は本を読んだ。

もし英語を順番に訳すなら、「彼、読んだ、本を」となる。英語の基本形は SVO であって、この順番、言い換えれば思考スタイルが英語の背骨になっている。

SVOでは、V(動詞)を挟んで2つのモノ(コト)が対置する。この形が英語の基本形だと言いました。どのくらい基本的かというと、バスケットでドリブルからシュートに入るとき、右足→左足でステップして跳び上がる、そのくらい基本的です。英語を読んだり聞いたりするには、これに慣れきっていないとスコアできません。

『英文法を哲学する』p. 76

筆者はバスケが不得意だけど、イメージは何となくできる。ワン・ツー・スリーのステップで決めていく感じ、それが英語にはあるのだ。

補語 C の革命

英語には5文型があるというのを聞いたことはあるかもしれない。その中で前述のSVOは三つ目の文型であり、派生形で第 4 文型というのもある。そして、SVO以外に出てくるアルファベット C は補語と呼ばれている。

この補語の捉え方が、『英文法を哲学する』の大きな特徴であり、考えが180度回転するような革命である。というのも、佐藤氏は、補語 C は単独で文になる、と説明するのだ。単独で、一語で文になるなんてありえない、と驚かれるかもしれない。しかし、例を挙げればなんてことはない。

Mmm. Good.  うーん。おいしい。

Good は形容詞であり、This is good. と言えば「これはおいしい」となるような補語 C である。しかし、Good だけでも文として成立している。つまり、話し手の意図や思いを表現するものとしてワークしている。

「いやいや、でも。やっぱり文っていうのは、主語と動詞の構造が最低限あるものでしょ」と、そう思う人が多いだろう。かくいう筆者もそうだった。文とは、センテンスというのは、そういう構造を備えているものだと。Good. だけというのは、文になる前の、いわば動物の鳴き声と同じじゃないかと。

一語文といわれるものを認めるかどうか。筆者は、認めない立場から認める立場へ傾いた。たとえば、次のような説明があるから。

動詞があるとか、ないとかは関係がない。
それが文かどうかは、存在承認か希求のどちらかの話をしているかどうかや。

『英文法の鬼100則』p. 32

この言葉は東京言語研究所の尾上圭介氏の言らしい。文は存在承認か希求かのどちらかである。それはいったいどういうことか。

水!

と子どもが言ったとしよう。これは文である。というのは、これは以下のどちらかを意味しているからだ。

  1. (水が溢れるのを見て)「水」!
  2. (喉が渇いて)「水」!

1.は「水が存在している」という意味を持つ。そして2.は「水がほしい、水をくれ」という思いを意味していると考えられる。

コミュニケーションというのはそもそも、その場その時の文脈の中で気持ちを、意味を伝えるものである。「水!」という一語は、たとえ一語であれ、その意味伝達に貢献している。ならば文として認めざるをえない。

話を補語 C に戻そう。C もただの一語であれ、文として機能する。さらに C のすごいところは、単独で文をなすだけでなく、他の節や句にくっついて、まるで接ぎ木のように、属することができる点だ。

The train is in.
列車は(駅に)入っている。
I'm on board the train.
私は列車に乗った。

この文は5文型でいうなら、SVCの文である。C は be 動詞にくっついて文をなしているのがわかるだろう。あるいは、分詞構文や現在進行形といったものも、大きいくくりで考えれば補語構文だといえるのだ。

私は、補語(C)を付けるbe動詞のはたらきを、その無整理ぶり(全包括的性格)において評価するものです。品詞に関わらず何でも補語にしてしまうところが、be動詞の脱構造的なすごさであり、その緩さが潤滑剤として働かなければ、英語の統語は、すごくぎこちないものになってしまうだろうと考えるのです。

『英文法を哲学する』p. 149

英文法は生長する

こうして、英語の世界は SVO の世界と C の世界に分かれ、互いが互いを支えあって5文型が成立する。5つの文のタイプのさらに深層に2つの世界を見て取ること。それが『英文法を哲学する』の画期的な提案なのだ。

英語の世界に2つの姿を見て取る、それだけでも豊かな収穫なのだけど、さらにメタファーを使ってみよう。それはいったいどういうことか。英語の世界を、2種類の種子から生長する植物と捉えるのだ。

Vが発芽すると基本的に、SとOが分岐します。Vの種類(意味)によって、Oの分岐が抑止され〈SV〉になります。種類の違う2つのOを芽吹くパターン〈SVOO〉もあります。be動詞の場合はこれと違って、SCの結びつきに割って入って、それを文として根付かせます。

『英文法を哲学する』p. 160

種子は意(こころ)だ。英語には SVO の種子と C の種子がある。種子は運動し、生長し、統語を形成していくのである。

  1. 佐藤良明『英文法を哲学する』(2022, 株式会社アルク) ↩︎
  2. 時吉秀弥『英文法の鬼100則<音声ダウンロード付き>』(2023, 明日香出版社)
    図も同著より引用。『英文法を哲学する』にも同様の説明箇所(p. 83)がある。 ↩︎
  3. Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea (2011, GreenLightbooks) ↩︎

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です