神話と共に生きる(3)

神とは何か?

ちょっと打ち明け話をしよう。気分が落ち込んだとき、何もする気概が起こらずにただただ寝転んでいるとき、星占いをすることがある。

いまの運勢はどうなのか、あるいは、これからの出来事の吉凶を星図から知ろうとする。そんな乙女チックな部分が私にはあるのだ。

彼女からは「理屈っぽい」とか、「真面目か」と呆れられることが度々あるけれど、しかし、理屈と努力ではどうにもできない領域が生活にはある。天気とか、思いもかけないイベントによる予定変更とか、あるいはいつ自分が死ぬのかとか。抗えない力、すなわち、不可抗力が世界には満ちている。

さて、私たちはここに神を観る。つまり、不可抗力=神である。

さればギリシア人がまず神と観たのは、どういうものかを考えてみましょう、それはあながちギリシアと限ったことはありませんが、神とは何かというのにつながり、ここではまず第一に人間世界に、その生活に大きな力を及ぼすもの、人間とその世界を不可抗的に左右し、その運命を変え、その生命を脅やかし、時には反対に恵み育ててゆく、そうした大方は眼にも見えずそれだけに恐ろしく、時には眼に一応は見えてもその内にこもる、そういう力が強大で抗しえなければ、えないだけ、それは偉大な神格であり、それが時には苛烈に、時にはありがたくあればあるだけ尊い神ともなりましょう。

呉茂一『ギリシア神話』

いわば、神というのは不可抗力の擬人化だ。人になぞらえるからこそ、不可抗力が合成され、物語が織られ始める。それが神話となる。

もしも不可抗力が神と置き換えられないで、ただただ「しかたなかった」という感想で終わっていたら物語は始まらなかっただろう。

たとえば、「空の輝き」ゼウスは宇宙で三代目の世界の統治者だった。

一代目は「天空」の神ウーラノス、配偶者は「大地」ガイアだ。たくさんの子どもを産み、そのうちの一人が二代目の統治者クロノスだった。

「農業」神クロノス(時間の神クロノスとは別神格。語頭の綴りが k と ch で違う)は、「大地」女神(あるいは「山」の女神)レイアーを妻とした。その子の一人が、ゼウスである。

ウーラノスからクロノスへ、そしてクロノスからゼウスへと世界の統治権が継承されていく(実はおだやかな継承ではなく、争いによる統帥権の争奪だったのだが)。このように、「天空」「大地」「農業(作物が実るかどうかは、技術もあるが、やはり自然という不可抗力に任せるところが多いだろう)」などの不可抗力同士が家族関係を結んで、神話が織られていくのだ。

雨が降って作物が実ることを、空と大地の交わりと考えてもいい。そのような連想的なつながりが神界を構築している。

ギリシア神話の調査方法

このように「連想によって合成された不可抗力」と見た時の神話はどのように調べればいいだろう。その姿への接近の仕方は、どのようになるのだろうか、それにまだ言及していなかった。

簡潔にいうと、ギリシア神話への接近は歴史学や考古学と同じようなアプローチになるだろう。現存しているテキストや物が過去の出来事を伝えているとき、それを観察し、整理し、考察していくのだ。

ギリシア神話への接近は過去に遡っただけより本当の姿を叙述しうる、というのもより古い姿はそれだけ変形の効果が薄れるから。

ギリシア神話というのは、4000年を超えて世界中で行われる伝言ゲームなのだ。最初の言い伝えが、良くも悪くもモディファイ(変更)されていく。

その伝言ゲームの初期は、歴史学が示すところでは、ギリシア民族の南下(征服)、暗黒時代、ローマ帝国による被征服という変遷をたどる。

ギリシア民族の中心勢力は、紀元前2000年を少し過ぎたころにギリシア半島に南下してきたと考えられる。その後、ギリシアの歴史は暗黒時代(文字資料に乏しく、実態がよくわからない時代)に入っていくのだが、その時におおよそのギリシア神話が形成された言われている。

そして、ギリシアはローマ帝国に組み込まれる。近代の西洋諸国で通用した「ギリシア神話」は元来がギリシアのものではなく、大体、ローマ帝国の治世にまとめ上げられた図形に従っていることには注意したい。

ギリシア神話の〈面白さ〉

このようにローマ帝国によってギリシア神話は継承され、世界各地に伝播された。神話は(ギリシアのものに関わらず)自然と無秩序に継承・再発見されて伸びてゆくものである。

人は意図的に歴史を残そうとするわけではない。神話というものも、必ずしも、整理して残そうとしたわけではない。ゆえに、どうしたってギリシア神話は様々なバリエーションをもつ。ギリシア神話の輪郭はあいまいになる。

このようにギリシア神話が世界中に伝播された理由を、呉は「人生の奥秘に挑む」とか「心性に訴える」と言ったが、平たく言うと、ギリシア神話は〈面白い〉という、ただそれだけのことなのではないか。

芥川龍之介が古典に取材したように、あるいは、和歌で言う本歌取りのように、〈面白さ〉は継承され、再発見されていった。その動的な創造活動があったからこそ、伝燈はつづいた。

燃焼しないと、続かない。〈面白い〉と感じ、そこに取材して創作活動が行われたからこそ、古いものが今でも新しいもののように生き生きとしている。

このように、ギリシア神話はさらに、後世の人たちの想像力も合成していくのだ。

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