アポローンと月桂樹の、少し怖い話
神話だからこそ恭しく、清い気持ちで物語を受け取ろうと思ったけれど、醒めた目で見れば、けっこうギリシアの神様にはろくでもないのが多い。こんなことを言えば罰が当たるだろうか、けれども、空の輝きゼウスは浮気性だし、息子アポローンはダプネー(河川の精霊)をまるでストーカーのように追いかける。
「ニンフよ、ペーネオイスの河の娘よ。お前を追う私は、けしてお前の敵ではないんだよ。まるで狼に追われる子羊みたいに、お前は逃げていくのだね、獅子に追われる小鹿のように。お待ちったら。・・・しかし、僕が追うのは、お前がただ可愛いからだよ。お待ちったら。蹴つまずいて、ころぶと危ないよ、怪我したら大変じゃないか・・・立ち止まって、お前を追うのが誰か聞いておくれ。僕は山男でも、羊飼いでもないんだよ。・・・僕はあのデルポイの郷の主なんだ、クラロスもテネドスも、僕の領地だ。あのゼウスが、僕の父親なんだよ。予言の術も僕によって、あの竪琴も僕によって、歌に答えるのだ・・・」
呉茂一『ギリシア神話』p. 159
うん、怖いね。もちろん、アポローンがこうなったのも理由があって、恋神エロースの弓の技術を茶化したせいで彼から黄金の鏃(やじり)の、「当たったものを、いとしい思いに燃えたたせる」矢を射られてのことだった(ちなみにダプネーには鉛の鏃の、「これに当たれば、ただ人がうとましく、厭らしく思われてくる」矢が放たれた)。
しかしそれにせよ、モテない男からこれをされたらゾッとするだろう。神様のご乱心だからこそ、お話になるのではないだろうか。
とうとうダプネーは力尽きてしまう。鉛の鏃の矢に射止められた彼女は、アポローンに恐怖する。
「お父さま、助けて。私をこの男の人から護って。もしお父さまが神様なら、私の美しさを、この人のものにさせないで下さいまし」
少女の祈りが、まだ口もとを去るか去らないかに、はげしい痺れが彼女の足をとらえた。そしてその脇腹は、見るまに、固い樹皮で覆われていった。ふさふさと、初夏の太陽に輝いて波を打っていた金髪は、みどりの葉に変り、両腕はおなじようにすんなりとした枝となった・・・
呉茂一『ギリシア神話』p. 160
こうしてダプネーは月桂樹に変身する。月桂樹のギリシア名はまさにこのダプネーである。
しかし、アポローンはただで引き返さない。
「ダプネーよ、お前はもう私の花嫁にはなれなくなったが、それでも、少なくとも私の樹にはなってくれよう。これからのち、私の髪も、私の竪琴も、私の箙も、みなお前の枝で飾られよう、月桂樹(ダプネー)よ。そしてあるいは華やかな競技の場に勝ちを得た若者も、また輝かしい勲功を立てて祖国に凱旋する将軍も、その頭をお前の葉で取り巻くだろう」
呉茂一『ギリシア神話』p. 161
さて、ダプネーは結局救われたのだろうか、私にはそう思えないのだが・・・
「強引に迫られたい、しかしイケメンに限る」
みたいなことなのかなと、モテない筆者は悲しい想像をしてみる。アポローンは小アジアに由来する、植物の精の権化として、ギリシア国内で男神として圧倒的な人気を誇ったという。そんな誉高い神様からの熱っぽい求婚であれば、嬉しいものなのだろうか。
女性読者がいれば、ぜひコメントを寄せていただきたい。
浮気者ゼウス
アポローンの父親であり、宇宙の統治者たるゼウスは、すでに述べたように浮気者である。関係をもって女性を神か人間か区別せずに列挙すると大体次のようになる:
- ヘーラー
- デーメーテール
- ムネーモシュネー
- エウリュノメー
- テミス
- レートー
- ディオーネー
- メーティス
- イーオー
- エウローペー
- エーレクトラー
- ダナエー
- アンティオペー
- アルクメーネー
- アイギーナ
- レーダー
- マイア
- セメレー
- プルートー
- ターユゲラー
- ラーオダメイア
- カリストー
分かっているだけでもこれだけある。なんとも、ここまでだとあっぱれと言いたくなるかもしれない。
ただ、一概にゼウスの無節操を笑うこともできない。というのも、人間たちの方が、「私はゼウスの子だ」と言い張りたい、という事情があるからだ。
彼はたびたび結婚しているばかりでなく、多くの女神、無数の人間の女と関係をもち、数多くの私生児をつくっている。しかしこれを一途に彼の多情あるいは乱倫に帰して非難しようというのは、すでに古代の哲学者クセノパネース以下ギリシア世界でも多くのいわゆる進歩的な文化人によって試みられていながら、けっして事態の真相を穿つものとはいえない。なぜなら、全ギリシアの王侯貴族らは、みな自分の血統をゼウスに帰したいという、熱烈な希望と努力とを固執してきたからである。しかし、神と神からしては、もちろん遺伝学的にいっても、人間が生まれてくるはずはない。どうしてもゼウスは人間の女と交渉を持たざるをえないのである。要するにとがむべきは「ゼウスの子孫」と誇称する人々であって、もちろん天上にいます御神は、ただ慨嘆するほかなかったのである。
呉茂一『ギリシア神話』p.91
このように致し方ない理由があった。しかし、宇宙の統治者たるゼウスに何か卑俗で人間臭いところ、もっといえば、ダメ寄りの人間のふるまいが垣間見られるのが面白い。
ヘーラーにいじめられたイーオー
ゼウスがそんなだから、正妻ヘーラーは気が気でない。ここでも、人間臭く、ゼウスの浮気性にいちいち目くじらを立て、浮気相手をいじめぬく女神の姿が見られる。
ひどい目にあったのは、ゼウスが関係を持った女性リストの 9 番目に挙げたイーオーだ。
ギリシアの一州アルゴスを貫流する川にイーナコスというのがある。イーナコスは河神として、大洋神オーケアノスと、その妻テーテュースから生まれたと言われる。そのイーナコスの娘がイーオーだ。
美しい少女であったイーオーにゼウスは懸想し、下界に降りてイーオーを愛撫した。と同時にヘーラーの嫉妬が発動する。オリュンポスからヘーラーが下りてくるのを覚ったゼウスは、当惑してイーオーを純白の牡牛に変えたのだった。そして、ただ珍しい牛がいたのであやしていただけだ、という分かりやすい冗談を言う。
まあ、なんというか、なんでもありの大神である。
ヘーラーは当然、許さなかった。
ヘーラーは無論、そんな弁解に耳を貸さなかった。正面から非難するかわりに、牡牛の美しさを賞め、すっかり気に入ったからぜひ自分にくれ、と頼みこんで、とうとうゼウスが断り切れないようにし、貰い受けると例の体中に目があるアルゴスを番人につけて護らせておいた。
呉茂一『ギリシア神話』p. 541
可愛そうなイーオー。しかし、悲しみはこれに終わらない。イーオーを取り返そうとしたゼウスはヘルメースを遣わして、誰でも眠らせるという錫杖をもって、アルゴスの全部の眼を眠らせた上で彼を殺してイーオーを解放した。
しかし、ヘーラーはあきらめない。
ヘーラーは正面からゼウスの行動を掣肘することはできないので、これを見過ごしたが、その代わりに凶悪な虻を牡牛の耳へ押し込み、絶え間なく螫しつづけさせた。その苦しみにイーオーの牡牛は狂乱して諸国をあてもなく迷い歩いた。まず西へ行ってイオーニア海の辺を辿り、イリュリアを過ぎ、ハイモス山からエウローパとアシアーを隔てる狭い瀬戸を渡った。この時からこの瀬は、ボスポロス海峡(牡牛の渡り)海峡と呼ばれることになった。
呉茂一『ギリシア神話』p. 542
このように、〈ゼウスの浮気 → ヘーラーの嫌がらせ〉で語られる物語がギリシア神話には多数見られる。時には、その子どもたちに対しても苛烈な嫌がらせをヘーラーはしていくのだ。
ギリシア神話はなんだか、人間臭い。そこがチャーミングなのかもしれないなあと、イーオーを憐れみながら思った。