ありがとう、おばあちゃん。これならクズ男をブッ飛ばせるわい!
https://images.app.goo.gl/AtnMhMj2ntmrqsuX9
と言ってセルポ星人を蹴り飛ばした綾瀬桃が好きになった。かわいくてカッコよくて面白くて性格もいい、そんなオールマイティ的なヒロインの魅力が、実はオヤジ的要素に支えられているのではないかと気づいたときには自分でも少しギョッとした。けれど、そんなことが本当に言えるのかもしれない。思い返せば、『ダンダダン』のストーリーは綾瀬桃の「はあ?」から始まる。初めての「高倉健」似の彼氏にメンチ切って蹴りを食らわせる、それから、「てゆうか慰めろよお、誰かよ~。世知辛い世の中だ」と愚痴って、赤ちょうちんが似合いそうなBGMをバックに廊下をねり歩く。そんな姿はおよそ「乙女」的とは言えず、むしろ、オヤジ的と形容できるかもしれない。しかし、綾瀬桃はただ単にオヤジ的なのではない。ギャルだからこそオヤジ的になれるし、オヤジギャルはさらに、その概念を描き出した中尊寺ゆつこが予言したように、超能力者へと進化する。「女の辞書に不可能はないよ」と沢田研二は歌ったが、本当に綾瀬桃には不可能がなくなった。そんな彼女が蹴り飛ばしたのはクズ男であり、セルポ星人だったが、同時に彼女は、女性に重くのしかかる「結婚」も蹴り飛ばしたのではないか。
このエッセイでは綾瀬桃がギャルであり、オヤジを通って超能力者へと進化したのだということを示してみよう。
綾瀬桃はギャルである
ターボババアをぶっ飛ばすためにトンネルに向かった桃とオカルン。
「ちょっと綾瀬さん、こんなところでマズいですよ。」
「こんなのさっさと脱ぎたいの」
「そもそもいいんですか?悪霊から身を守るための戦闘服なんですよね?おばあさんが着とけって」
「誰がそんなもん着るか!ギャルはおしゃれが戦闘服なの。着たい服着ないとテンション上がんないじゃん?」
この会話からわかるように桃は自分のことをギャルだと言っている。「ギャル」というのは今では広辞苑に記載があるくらい浸透している言葉で、辞書的には「(girl の訛り)女の子。若くて活発な娘」1の意味だ。千鳥の番組の『相席食堂』で ゆうちゃみ が「ギャルで~す」と言っていたし、ざっと「あんな感じの女性」がギャルなのだろうという見当はつく。これをきっかけにもう少し「ギャル」の範囲を正確にとらえておきたい。そうすれば、桃が自他ともにギャルであると認めることができるだろう。
ギャルとは何か?
面白いことにギャルについては今までいろいろな考察がなされてきたらしい。『ギャルの構造』という本があるし、ほかにも『ギャルと不思議ちゃん論-女の子たちの三十年戦争』や『ギャルとギャル男の文化人類学』というのもあって、「ギャル」というのが興味の集まる存在であるということが伺える。また、wikipedia でもかなり詳細にわたって「ギャル」の説明がなされている2。今回は特に、無料で調べることができる範囲を中心に「ギャル」の範囲を特定していきたい。まずは wikipediaに書いてある定義を押さえておこう。
ギャルは、英語において少女を指す girl(英語発音: [gəːrl] ガール)の、英語における俗語 gal(英語発音: [gæl] ギャル)に由来する外来語。日本語でも英語と似た若い女性を意味する昭和初期からの流行語(モダン語)。または、10代後半から20代前半という、若く、軽薄だが健康的で元気のいい女性。容貌そのものではなく、価値観・文化・マインド。
この定義を見ると、先に見た広辞苑の定義とも重なるところがある。まずは言語的な由来。英語の gal の外来語なのだということは一致している。それから、その外来語でもって「若い」「女性」というように性別と年代を特定しようとしているのがわかる。この定義によると「若い」というのは 15 ~ 25才ぐらいの範囲である。
しかし、これくらいの年齢の女性であればだれでもギャルなのだろうか。例えば、『ぼっち・ざ・ろっく』に出てくるぼっちちゃんも「若い女性」というだけならギャルと言わなければいけないが、きっとそれは、ぼっちちゃんもそう言われたくないだろう。ギャルというのは、若い女性、というだけでなく、「軽薄だが健康的で元気のいい」という特徴までを内包していた方が自然である。
「ギャル」はぼっちちゃんには荷が重すぎる・・・
https://images.app.goo.gl/1ZgJyN9GBm5zkAoy5
さらに、広辞苑には記載されていない、時系列的な目線でもギャルを考えていきたい。wikipedia を読んでいくと、ギャルは昭和後期の渋谷に端を発し、原宿系をまきこみながら、分化したり、歌姫やファッション雑誌を推進力としたりして発展してきたのだと言える。まず「ギャル」という言葉の興りは、昭和初期に若い女性を馬鹿にしたモダン語であり「ギャール」という表記で使われだしたそうだ。つまりは蔑称だったのだ。また時系列において発祥が特定されるばかりでなく、地理的にもギャルの始まりを特定することができる。というのも、東京において1973年(昭和48年)に渋谷PARCOが開店したが、まさにこの渋谷がギャルの始まった土地だと言っていい。渋谷が若者の街としてファッションの最先端を担うようになり、そういった流行りを率先して取り入れた前衛的な人達が奇異な目で見られたのだろう。それと同時に、原宿も渋谷と同じくファッションの街として栄え、渋谷ギャルとは別の系統、つまりは別のファッションやメイクの進化を辿って行った。このように渋谷から始まったギャルは、原宿ファッションと時代を並行していくことになる。それからギャル文化は、大きく二つの推進力を得て発展していった。すなわちファッション雑誌と歌姫である。当時、Popteen、 egg、 Ranzuki、 Cawaii といったファッション雑誌がギャルに対して大きな影響を与えつつ、3代にわたる歌手がギャルの求心力をもった。それは、安室奈美恵、浜崎あゆみ、倖田來未の三人だ。とくに、安室奈美恵を熱狂的に支持したギャルはアムラーと呼ばれていて、彼女らの時代のファッションが『ダンダダン』と深いかかわりを持っている。綾瀬桃のファッションの特徴がアムラー時代の女子高生のそれと一致しているのだ。
安室奈美恵はギャルの元祖とも言える。
https://images.app.goo.gl/J7CX1NKuKurs97WP9
バブル崩壊直後の1992年から1993年にかけて、スカートを短くしてルーズソックスを履いた、それ以前では見られなかった制服の着崩しをした女子高生が登場し、それ以前のジュリアナのお立ち台ギャルや女子大生ブームと入れ替わる形で、マスメディアから注目され始めた。・・・また、10代の女性の間ではSUPER MONKEY’Sの安室奈美恵の登場により、彼女の装いに特に影響された者が続出した。この現象もしくは安室に心酔した彼女らのことを「アムラー」と呼び、10代の女性の多くが彼女のファッションである1970年代風のサーファーファッション、LAファッションなど回帰的なファッションが流行を示した。特に大きな変化として、それまでの日本人にはあまり馴染みがなかった茶髪に対する抵抗感がなくなったことが挙げられる。このファッションの流れを汲むのが狭義でのギャルの原点であるというのが定説となっている。また安室は「初代ギャルのカリスマ」とされた。
スカートを短くしてルーズソックスを履いていて、しかも茶髪。このような特徴の一致を見ていくと綾瀬桃はアムラー時代の初代ギャルの典型であると言える(下記画像参照)。
https://images.app.goo.gl/Ebof8DnixyeHpvAQ8
若い女性で、軽薄だが健康的で元気がよくて、時代的に見ても初代ギャルの特徴を備えているという点で綾瀬桃はまさしくギャルの典型であると言える。(ちなみにアムラーと同時代にヤマンバギャルが流行ったが、これは むーこ の特徴だ。)
左が みーこ、右が むーこ
https://images.app.goo.gl/wuHV7TFKASzAT9P86
ファッションの括りではない「ギャルそのもの」
このように間違いなく綾瀬桃がギャルだと言うことができたのだが、ギャルの定義についてもっと踏み込んで考えたいことがある。Wikipedia での定義を再掲しよう。
ギャルは、英語において少女を指す girl(英語発音: [gəːrl] ガール)の、英語における俗語 gal(英語発音: [gæl] ギャル)に由来する外来語。日本語でも英語と似た若い女性を意味する昭和初期からの流行語(モダン語)。または、10代後半から20代前半という、若く、軽薄だが健康的で元気のいい女性。容貌そのものではなく、価値観・文化・マインド。
最後の文に注目すると、「容貌そのものではなく、価値観・文化・マインド」と書いてある。上で考察してきた内容、ギャルは「10代後半から20代前半という、若く、軽薄だが健康的で元気のいい女性」で、最先端のファッションを着こなすからこそ世の中からしばしば軽蔑的に見られていた云々というのは外見的分類的なことだった。しかし、そうではなく「ギャル」というのをもっと内面的精神的に見ることもできる。例えば「ギャル男」という言葉がある。もし「ギャル」という言葉が「女性」の意味を堅持しようとするなら、これは矛盾した言葉だ。
ギャルに相当する男性を「ギャル男(ギャルお)」と呼ぶこともあった。
と Wikipedia にあるが、「ギャルに相当する」というのは一体どういうことだろう?何か、「価値観・文化・マインド」的な「ギャルそのもの」があって、そういう「ギャル的な」と見なされるのであればギャル男であるという風に言えるのだろう。また、ギャルというのは既にみてきたように gal の借用語であったけれど、それが今や海外に逆輸入されて、若い日本人ファッションを指す言葉として、日本語のローマ字表記にあたる “gyaru” が英語に浸透し、「gal」と区別されている。このことを考えると「ギャル」というのはもはや借り物ではなくて、世界的にもユニークな存在になっていると言える。このように見ていくと、表面的に見えるギャルではない、目に見えない価値観・文化・マインドとして、性別などの枠組みにとらわれないユニークな「ギャルそのもの」とか「ギャル的な」という存在が立ち現れてくる。このような存在を、外見的なギャルと区別して〈ギャル〉と表記しておこう。
では一体、〈ギャル〉というのはどのような存在なのか?
〈ギャル〉はオヤジ的である
あるものが一体どのようなものであるのかというのを考えるときには、反対のことを考えるのが役に立つ。〈ギャル〉とは何かということを考える時もそうで、その反対は大和撫子になるだろう。
〈ギャル〉は大和撫子の否定である
うるはしみ我が思ふ君はなでしこが花になそへて見れど飽かぬかも
「美しいあなたを私は思っています。あなたを撫子(なでしこ)の花にたとえて見ていますが、それでも見飽きることはありません」と詠んだのは大伴家持だった3。万葉集に載っている歌で、由緒が古いことを感じさせられる。ほかにも万葉集には撫子の歌が 26 首あり、そのうち 8 首が愛しい女性のおもかげを撫子に重ねたものだった。ちなみに、撫子というのは下記のような花だ。
愛しい女性への思いを撫子に託して歌うというのはそれなりにロマンチックなことなのだろう、女性から見てこの歌がきれいに聞こえるのか、そんなことを言われたら嬉しいのかということは分からないが。しかし、そういった抒情がすなおな表現であるうちは美しいかもしれないが、もしそれが、押し付けになったら鬱陶しいものかもしれない。芸術の中での「大和撫子」でなく、現代日本でその言葉がどのように考えられているのか、そのことを示す資料は少ないが、例えばマイナビウーマンのある特集記事を見ると『男子に聞く! 「大和撫子」タイプの女性と付き合いたい?→はい:68.2%「俺色に染め上げてやるぜ」』(https://woman.mynavi.jp/article/140812-14/)4という、女性からするとちょっと引いてしまうのではないかと思ってしまうことが書かれている。中身を見ていくと、2014 年 7 月に 22 ~ 39 歳の社会人男性を対象に実施された Webアンケートで(有効回答数107件)で「大和撫子タイプの女性と付き合いたいと思いますか?」という質問に対し 73 人が「はい」と答えたそうだ。理由には:
- 「尽くしてくれそうなので」(32歳/機械・精密機器/技術職)
- 「男を立ててくれそうだから」(25歳/農林・水産/技術職)
- 「自分にだけ心を開いてくれるなら控えめな女性もいいと思います」(32歳/機械・精密機器/技術職)
- 「俺色に染め上げてやるぜ」(26歳/機械・精密機器/販売職・サービス系)
- 「控えめな女性も魅力があり、守ってあげたくなるから」(30歳/情報・IT/技術職)
が挙がった。このアンケートを受けて記事中では「昔ながらの『男を立てる』『控えめ』な女性を求めている男性は多い」と総括している。男から見て、尽くしてくれそうで立ててくれそうな控えめな女性、もっと言えば「女の子らしい」ということ。そういった女性像を大和撫子と考えておこう。そしてこの女性像は、結婚のためのルートとして長らく考えられてきたのではないか。もっといえば、結婚という「幸せ」を獲得するための戦略だったはずなのに、いつしかそれが女性にのしかかる呪いになったのではないかと筆者は想像する。それは「女の子らしくしていないとお嫁にいけない」という条件で繰り返される呪いである。たとえば、1989 年に連載が開始された『お嬢だん』5 の一幕のようにである。
主人公の白井麻子が母親に対して夕飯を催促したときに、麻子は母親からちくりと言われてしまう。さらには「クリスマス( 25 歳)過ぎたら困る」と年齢まで指定される。偶然か、この 25 歳という年齢はギャルの定義の上限である。
こうした 「お嫁さん」を意識した「女の子らしさ」というのを、もし何かしらの「標準」と考えるのなら、確かにギャルはそれから外れるのだろう。軽薄で健康的で元気がよいのは構わないのかもしれないが、女の子らしさから外れたり、そのために婚期を逃すようでは、「大和撫子」的には都合が悪いのだ。ギャルの定義を思い返してみても、ギャルと言うのは蔑称だった。その軽蔑というのは「大和撫子」から外れているという点においてであったのだと推察できる。
このようにギャルを「大和撫子ではない」と消極的に言ってみたのだが、それでは、積極的に言うとしたらどうなるだろう。それがつまり、「オヤジ的」なのではないか。先に示した麻子と母との会話で、「ババー、めし」というのはオヤジが言っていてもおかしくないようなセリフである。それからすぐ次のコマには「大みそか( 31 歳)までに行けばいいのよ」と吐き捨てて、服を脱ぎ散らかす態度もどちらかというと男勝りである。
この作品を描いた中尊寺ゆつこはこの『お嬢だん』の次に『スイートスポット』という漫画を描き、やはりどこかルーズで大雑把な、大和撫子的性格を欠くOLを描いた。その女性像がずばり「オヤジギャル」である。この「オヤジギャル」と言う言葉は社会的にも話題になり、1990 年の流行語大賞銅賞をとった6。ギャルと言うのはそもそもがオヤジ的なのかもしれない。そのように考えれば綾瀬桃の、弱い者いじめやズルを許せない任侠っぷりや啖呵を切っている様子、あるいは、ターボババアに対してはったりをかましたりするといったようなオヤジ的な強さが自然なものとして見えてこないだろうか。このように綾瀬桃はオヤジ的なのであり、それはギャルゆえにである。
〈ギャル〉は進化する
ここまでで綾瀬桃がギャルであり、それゆえにオヤジ的なのだということが分かった。ギャルはオヤジ的であり大和撫子の否定である。社会で「女の子なら、そしてお嫁さんに行きたいなら普通こうでしょ」と浸透した標準から外れた存在である。最先端なファッション、派手な格好をして、言ってしまえば「ちょっと変な」人達。この意味においてギャルは傾奇者であると言えるのかもしれない。しかし、綾瀬桃の存在がオヤジ的であるということに留まらないのが『ダンダダン』の面白さではないか。というのも、桃はさらに超能力者になったからだ。そして不思議なことに、オヤジギャルから超能力者への進化は、オヤジギャルを描いた中尊寺ゆつこがすでに、『DNAセルフ・プログラミング』というPLAYBOY 日本版 90 年 8 月号から 12 月号までの短期集中 5 回連載の初回で語っていたことだった(https://nileport.com/column/p012235/)7。
3世代先にはもしかしたら今の人間よりずっと進化していて、宇宙人と簡単に話したり、今、超能力と言われていることも日常になっているかも。でもそんなのってじれったい。(中略)私は今、この1回の人生の中で何回も進化してみたい。(中略)今まで見えなかったものが見えてくるようなプログラムを組んで、自分を実験台にして進めて行こう。(中略)そうやってポジティブに自分の DNAに働きかけていけば、自然に DNAをコントロールできるようになって、何事もうまくいく人間になるだろう。これは確実に進化だ。このコトに女の子たちは気づいている。日本の男をおき去りにしてどんどん海外へ行く女のコたちは、そうやって進化しようとしているのだ
彼女の語ったことは『ダンダダン』のテーマとぴったり合っている。この超能力者への進化には突然変異が欠かせないし、「普通」では変化は起こせない。大和撫子的におとなしくしていては、そしてこう書くのは男の筆者としては少し寂しいのだが、日本の男どもに気に入られるようにと考えているうちは進化を起こせないのだ。さらに『DNAセルフ・プログラミング』の最終回ではUFOに関する言及もあったという。
最終回の「UFOコンタクトプログラム」では、パワースポットとして知られる奈良県の天河神社に赴き、UFOを呼ぼうと試みました。折しも天河神社は祭典の日で花火が打ちあがり、雰囲気は満点でしたが、残念ながらUFOは飛来せず。しかし彼女は、霊能者を集めてUFOを呼ぶテレビ番組に参加し、母船級UFOとの遭遇を経験したとか。この回では、人類と宇宙とのボーダーを取り払うことや、最近のスピリチュアルブームに通じる意識も書かれていました。
男の目線をものともせず、自分自身のDNAをプログラミングして超能力を手にし、人類と宇宙との境界を自由に行き来する未来は、ギャルになることで実現する。世の中を傾いてこそそれが可能になる。いわば中尊寺ゆつこが予言したギャルルートでの超能力者への進化が『ダンダダン』で実現されていると言ってもいいのではないか。綾瀬桃は、そういった進化のプロセスを体現しているヒロインとして魅力的なのだと言えるのではないか。
綾瀬桃はファンタジーを実現する
超能力に目覚めた瞬間はもっとすごかったのにな・・・それこそイメージが全部現実になる感じっていうか、無敵って感じ?
トイレに行きたがっているオカルンの炎(オーラ)を抑え込みながら桃が話していたように、綾瀬桃には不可能がなくなった。1979 年にヒットした沢田研二の『OH!ギャル』の歌詞(https://www.uta-net.com/song/913/)8には「女の辞書に不可能はないよ」とある。その言葉通り、桃はその勝気な性格と超能力とでUMAや宇宙人や幽霊を打ち破っていく。そんなスーパーヒロインの魅力は育ちの良さやツンデレ要素、さらには乙女要素を包括していき、さらに、現実のギャル文化が去った後の「オタクに優しいギャル」というミーム現象を牽引していく。
前述のように現実のギャル(コギャル、ヤマンバブームなど含む)ムーブメントが去った後に起きたミーム現象であり、「オタクに優しいギャル」はSNS漫画を中心に近年インターネット上で頻繁に見られる言葉となった。それが現実世界で実在するかどうかについて、伝説上の生物であるネッシーや龍なども引き合いに出して、ユーモアを交えて語られるトピックとなっている。「誰もが憧れる存在でありながら、UMAであり、ファンタジーにすぎない」とも言われ、川柳やBotの題材にもなっている9。
「オタクに優しいギャル」というと、例えば『その着せ替え人形は恋をする』の喜多川海夢(きたがわ まりん)などもそうだ。視聴者は「ギャル」なのに「オタクに優しい」というファンタジーに憧れるし、もっといえば、そんな「ありえない存在」を描き出すのがアニメの目的なんじゃないかといいたくなる。そんな両立しない要素を桃は昇華してしまう。「そんなことはありえないだろう、でももしかしたらいるかも」という存在、それを桃は体現していく。そう考えると彼女自身が一つのオカルト現象であるといってもいい。
オタクに優しいギャルの一例として、
『その着せ替え人形は恋をする』の喜多川海夢
https://images.app.goo.gl/1pQk8G27BUP3fnz28
結婚をブッ飛ばす
アニメにはきっと、虚像を描いて憧れを引き出す作品と現像に引き寄せて機微を描く作品とがあるのではないか。そして『ダンダダン』は前者であって、ギャルからオヤジへ、そしてオヤジから超能力者へと進化して、その「なんでもあり」的な力ゆえに性格の良さやツンデレ、可愛さを融合させる綾瀬桃を描き出す。そんな彼女は第1話で高倉健似の彼氏やセルポ星人に蹴りを食らわせた(初めての彼氏には受け止められてしまったが)。それが象徴するのは、自分勝手な理由でセックスを求めるクズな男どもをブッ飛ばす姿である。
男のベースで生きては駄目さ10
大和撫子的に、男に求められるためのおとなしさに収まっていていたくない・・・そんな気持ちを抱いているかもしれない視聴者にとってきっとそのキックは爽快であり、とてつもなくカッコいいものなのだ。そのカッコよさこそ綾瀬桃の魅力である。
あとがき
アニメを観て、ほとんど屁理屈のようなものを一生懸命拵えたわけだが、それだけ筆者が『ダンダダン』にはまっていて、そして、綾瀬桃のことが好きなんだと言うことを分かってもらえればいい(なんかこう、自分でも書いていて少しオタクじみている感じがするが)。ただ、以上のような考察をしてきて、女性にとっての生存戦略みたいなものが見えてきたのは個人的には面白かった。一つは、大和撫子ルート。今回のエッセイでは綾瀬桃をほめちぎるためにギャルの否定として書き、どちらかというとマイナスイメージ的に書いたが、しかし、これはこれで一つの立派な戦略ではないか。結婚というのが一つの幸せの形としてあるなら、手っ取り早く叶えてしまえばいい。そのときに、アホな男を釣るパターンが大和撫子というテンプレートとしてあるなら、手段として使ってもいいかもしれない。もう一つは、主題のギャルルートである。ファッションの最先端を行き、世の中を傾いて歩けば、もしかしたら超能力的な力を得られるのかもしれないし、その憧れこそが綾瀬桃だということは先に述べたことだ。そして最後に、これはあまり詳しく述べなかったのだが、もしかしたら不思議ちゃんルートというのがあるのかもしれない。男受けを気にせず、「自分の好きなものは自分で決める」というような生き方。これは『ギャルと不思議ちゃん論-女の子たちの三十年戦争』から得た着想だ。
ギャルと不思議ちゃんは、ときに強く意識しあい、独自性を確認しようとして戦ってきた。ギャルは不思議ちゃんという少数派を「変だよね」と言い合うことによって同化圧力を維持し、不思議ちゃんはギャルという多数派を「つまらない人たち」と評することによって、自分たちの「存在確認」をしようとしてきた11。
独自性の突き抜け方として綾瀬桃のようなギャルルートがあり、もう一つ不思議ちゃんルートがあるとすれば、もしかしたらそれは白鳥愛羅が代表しているのかもしれない。いずれにせよ、大和撫子ではない自分らしさを発露するルートが彼女らによって示されているのだろう。
- 新村出『広辞苑』(2008年1月11日, 第六版, 岩波書店) ↩︎
- Wikipedia 「ギャル」(2024年12月2日参照) ↩︎
- 石川県立図書館, レファレンス共同データベース, 管理番号:20110722/646「日本女性を「やまとなでしこ」と言うようになったのはいつ頃からか。有名な古典に載っていた気がする。」に和歌の主題としての大和撫子について整理されている。 ↩︎
- マイナビウーマン「男子に聞く! 「大和撫子」タイプの女性と付き合いたい?→はい:68.2%「俺色に染め上げてやるぜ」」 ↩︎
- 中尊寺ゆつこ『お嬢だん』(1997年7月1日, 双葉社) ↩︎
- 「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン 新語・流行語大賞 ↩︎
- Nileport, 「中尊寺ゆつこは時代の先取り⁉」 ↩︎
- 沢田研二, 『OH!ギャル』 ↩︎
- Wikipedia「オタクに優しいギャル」(2024年12月19日参照) ↩︎
- 脚注 8 参照 ↩︎
- 若者文化研究所「若者論のトレンド」 ↩︎