悲しみは温かい。悲しみは愛慕と同じであり、コントラストである。
エウリーピデース『ヒッポリュトス』(松平千秋訳 岩波文庫)は悲劇である。しかし、その悲劇の読後感は温かいものだった。その読後感の正体は一体なんだろう。それが悲しみだった。
ストーリーのあらすじは冒頭にキュプリス(アプロディテーに同じ)が語る。ストーリーはキュプリスの言葉が現実化するだけだ。すなわち、キュプリスは自らを崇拝せず、対立する純潔の神アルテミスを愛慕するヒッポリュトスを罰する。その罰の内容が語られるのが『ヒッポリュトス』。主な登場人物はテーセウス、パイドラー、そしてヒッポリュトス。テーセウスはパイドラーの夫であり、ヒッポリュトスはパイドラーの継子である。つまり彼らは親子だ。キュプリスはパイドラーに継子ヒッポリュトスへの恋心を抱かせた。その恋心が悲劇の因となる。
キーワード:キュプリスの怒り→もつれ→アルテミスの語り
キュプリスの怒り:「この世のすべてのものはキュプリスの力で生まれる」。そのキュプリスの怒りが『ヒッポリュトス』の始まりであり、この作品のフレームだ。キュプリスは「その神威を恐れ敬うものは栄え、思い上がった振る舞いをするものはことごとく打ち倒す」。ヒッポリュトスの悲劇は、この言葉に偽りがないことを示す一つの証拠として語られる。キュプリスにとって、パイドラーが死ぬことよりも、かたきを心ゆくまでこらしめることの方が大事だった。
ヒッポリュトスは純潔のアルテミスを崇拝し、よって、対立するキュプリスを軽んじた。ヒッポリュトスは不思議なほど女性を嫌悪した。このキュプリスへの不敬がキュプリスの怒りを買った。
キュプリスはパイドラーをしてヒッポリュトスへの恋心を焚きつかせた。パイドラーは「手は汚れていないが、心は穢れてしまった」とこぼす。パイドラーは狂気と正気を往来していた。継子への懸想を乳母に内明かす。
しかし、それが問題だった。乳母はうまくヒッポリュトスとの関係を取り持とうとしたが、それを知ったヒッポリュトスが激怒。失敗し、ただ秘密の恋心がカミングアウトするだけの形になった。パイドラーは自ら縊れ、ヒッポリュトスへのあてつけのために死んだ。このパイドラーインパクトがテーセウスの屋敷を揺るがせる。
もつれ:テーセウスは、パイドラーが書き残した書板をみて驚愕。ヒッポリュトスとの情事(これはパイドラーの嘘)を知ったテーセウスはヒッポリュトスに呪いをかける。ここで、物語のもつれの構造は複雑になっていく。純潔のヒッポリュトスが不倫の罪を、しかも無実の罪を父親に責められ、弁解することも許されないまま追放される。そのもつれが、パイドラーの死によって、ブラックボックス化している。もつれ、葛藤が物語の悲劇を構成している。
アルテミスの語り:テーセウスの呪いは実現し、ヒッポリュトスは瀕死の状態で屋敷に運び込まれた。この段になって事の全容が純潔の神アルテミスによって語られる。自らの愚行を悔やむテーセウス、一部始終がキュプリスの企みであることに納得するヒッポリュトス。そしてコロス(合唱隊)は歌う、「悲しみは一入深く、一入に胸は塞がる」。
読後、すっきりと温かい感情を覚えた。不幸だけど、なぜかそのなかに温かさがある。深い悲しみは温かい。もつれが悲しみを作り出し、葛藤の中にあってこそ、ヒッポリュトスのアルテミスへの愛慕は温かく、澄み切って感じられる。テーセウスが自らの行いを悔い、ヒッポリュトスに自らを許すよう問いかけるシーンもまた、人間味に溢れていて温かい。『ヒッポリュトス』が教えてくれることは、悲しみが愛慕の一形態であるということで、だからこそ、その悲しみは温かくかんじられる、ということだ。