「論理」を論理的に考える?
「論理的だね」というのは言われたら嬉しいフレーズかもしれない。「賢いね」と言われるのと似た感じがする。逆に「もうちょっと論理的に考えようよ」なんて上司になじられた日には少し落ち込むかもしれない。
そんな理知的なイメージをまとっている「論理的」あるいは「論理」という言葉だけど、「論理って何?」と聞かれたらあなたはどう答えるだろうか。一貫性があるということ?矛盾がないということ?それとも、筋が通っているということ?
結構そういう言葉の隅をつつくタイプなので、筆者はそんなことを考えあぐねていたのだ。論理とは一体何かということを論理的に考えるという、足がもつれそうな話である。
そんなことに悩んでいる人に(そんなことで悩むのは筆者ぐらいかもしれないが)ぜひ薦めたい本がある。野矢茂樹『入門!論理学』だ。今回は論理的な人になること、あるいは、論理を構築する技術についての話である。
論理は推論を扱う
おおざっぱに言えば、「 論理」とは、ことばとことばの関係の一種なのです。
野矢茂樹. 入門!論理学 (中公新書) (p.15). 中央公論新社. Kindle 版.
当たり前すぎるけど言われたらハッとすること、それが本読みの醍醐味だ。そんな味わいを体験できたのがこの一文である。論理とは、まず、ことばとことばの関係である。「論理的」な人と「非論理的」な人との違いは、ことばの関係を気にする人と気にしない人との違いである。前の発言を受けて、それとの関係を意識して次の発言ができることが論理的な人の第一条件である、と言ってよさそうだ。
しかし、と野矢はつづける。「おおざっぱに言えば」そうなのであって、論理はことばとことばの関係の「一種」なのだということに気を付けたい。そういった関係の中でも論理学が扱う関係は、「推論」(学術用語では「演繹」)という関係である。
いくつかの前提からなんらかの結論を導くもので、その導出が絶対確実なもの(前提を認めたならば結論も必ず認めなければならないもの)、そのようなものを「推論」と呼びます。
野矢茂樹. 入門!論理学 (中公新書) (p.22). 中央公論新社. Kindle 版.
推論とは、ある二つの文(あるいは主張)の関係で、その関係(導出)が「絶対確実」なものを言う。「前にあなたはこう発言しました(前提)。その発言の内容を認めるならば、こう発言すべき(結論)ですよね」という、必然性を帯びる関係を扱うのだ。
このような関係を取り扱うから、「論理的な人」というのは、賢そうで、それでいて、少し怖いのだ。その怖さというのはある種強制される怖さである。気ままな発言が許されない、「そんなこと言ったって私はこう思うんだもん」が通じない世界である。
筆者が、推論の定義を聞いて思い出すのは、ソクラテスの対話篇だ。
ソクラテス それなら、あの前の話もいっしょに、ご破算にしてしまうか、それとも、あれを認めるなら、この今のことは、それからの結論として、必然に出てくるか、そのどちらかになるのではないかね。
プラトン; 加来 彰俊. ゴルギアス (岩波文庫) (Kindle の位置No.2059/6479). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
「あれを認めるならば、これも必ず認めなければならない」。論理は、主張Aと主張Bの必然性を追っていくことになる。
こうして、論理(学)の対象が推論という、必然的な文と文の関係であることが明らかになった。では、その推論と呼ばれている関係は、どのように構築したらいいのだろうか、というのが次の話題である。
レゴブロックな論理構築
野矢の説く推論の構築方法は、レゴブロック的なものだと筆者は感じた。それは、数限られた基本的なピースであらゆる推論を組み立てる作業である。そのピースというのも、たったの6種類しかない。
「ではない」「かつ」「または」「ならば」「すべて」「存在する」
の6個である。このうち、「ではない」「かつ」「または」「ならば」の4つを扱うのが命題論理といわれる論理体系である。命題論理に「すべて」「存在する」を加えて拡張すると述語論理と呼ばれるものになる。
ここまで、否定語と接続語で、ひとつのまとまりを作ります。つまり、論理学は、このことばたちを巡ってひとつの完結した論理体系(「命題論理」と言います)を作り上げるのです。
野矢茂樹. 入門!論理学 (中公新書) (p.36). 中央公論新社. Kindle 版.
論理学のコアな部分は、否定語と接続語で構成されている。問題は、私たちが日常的に使っている言葉、そのダイアログから、否定語と接続語に注目して、それぞれの言葉から純粋な意味を取り出すことにあるのだ・・・
次回は、このレゴブロックの組み立て方を、野矢論理学を紹介する形で述べてみよう。
論理力アップのクイックスタート
割としっかりとした説明をする前に、せっかちに、手っ取り早く論理的になりたいならどうすればいいのか、というアドバイスを野矢論理学から引き出しておこう。
ときどき、「論理的」になるにはどうすればいいんですかなどという質問をされることがあって、この場合の「論理的」というのは演繹に限定されないもっと広い意味なわけですけど、そういう質問に対する私のひとつの答えは、「接続表現を自覚的に使おう」というものです。
野矢茂樹.入門!論理学(中公新書)(p.69).中央公論新社.Kindle版.
論理とはことばとことば、文と文の関係だ。その関係を意識することが論理的な人になる近道になるらしい。ことばとことばの関係を無視しないことが、論理的な人には求められる。
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ところで、今日は、勤労感謝の日ですね。勤労感謝の日は、もともと新嘗祭(にいなめさい)という祝祭が由来とされているそうで。新嘗祭とは、五穀豊穣を祝う日本古来の風習で、日本書紀にも記述が見られて・・・
論理的な人は、急にこんなことを言わないようにしましょう。いや、「ところで」という接続表現を使っているから、これはこれで論理を意識しているのか・・・
ともかく、「論理的」の称号を得たい人はこういったことを気にするようにしていきたいですね。
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