歩くスピードを合わせてくれる君へ

ノットイコールの世界

スタスタ向こうへ行ってしまう人もいれば、その一歩一歩を大切に歩く人がいる。世の中的には「スタスタ」行ける人が有利なのかもしれない。しかし、そんなことはきっと、どうでもいいのだろう。

ペラペラと話せる人がいれば、いちいちどもって、「えっと」とか言いながら、ごもごもと話す人もいる。私はどちらかと言えば後者だ。言いたい気持ちにたどりつくまで遠回りをする。何かと近道が優遇される世界だ。しかし、私は回り道の豊かさを知っている。

重松清『きよしこ』は、吃音という個性をもった少年の成長記録である。それは、言いたいことと伝わっていることがズレている世界の話であり、待ってほしい気持ちと待ってくれない世界とがすれちがう、ちょっぴり悲しい物語である。置いてけぼりの悲しみとも言えるだろう。しかし、その悲しみを力強さに変換してくれる物語でもある。

言いたいこと ≠ 伝わっていること

待ってほしい気持ち ≠ 待ってくれない世界

このノットイコールを私たちはどう乗り越えていこうか。どのように、ぴったり合わせていこうか。

イマジナリーフレンド

主人公には想像上の友達、イマジナリーフレンドがいた。きよしこ。きよしこの夜の、おちゃめな勘違いから生まれた友達である。

『きよしこ』は、主人公の「少年」がきよしこと出会い、きよしこを必要としなくなるまでの物語である。

少年は吃音というハンディキャップをもっていた。皮肉なことに、少年の名前は「きよし」だった。カ行は少年にとってはとても言いづらい言葉だったのだ。

自分の言いたいことに言えない言葉が含まれているとき、少年は葛藤する。葛藤し、悲しんだ。

そんな悲しみの中に現れたのが、きよしこ、である。

誰かになにかを伝えたいときは、そのひとに抱きついてから話せばいいんだ。抱きつくのが恥ずかしかったら、手をつなぐだけでもいいから

抱きついて話せるときもあれば、話せないときもあると思うけど、でも、抱きついたり手をつないだりしてれば、伝えることはできるんだ。それが、君のほんとうに伝えたいことだったら・・・伝わるよ、きっと

君はだめになんかなっていない。ひとりぼっちじゃない。ひとりぼっちのひとなんて、世の中には誰もいない。抱きつきたい相手や手をつなぎたい相手はどこかに必ずいるし、抱きしめてくれるひとや手をつなぎ返してくれるひとも、この世界のどこかに、絶対にいるんだ

『きよしこ』は少年の、少年と言えなくなる年齢に成長するまでを描く短編集である。とても流暢とはいえない、実直な言葉で紡がれる個人的なお話である。ただ、ゆっくり歩いてくれる人だからこそ、そばにいてほしいと思えるような物語でもある。

ゆっくり読んでくれればいい。難しいことは書いていない。ぼくは数編の小さなお話のなかで、たったひとつのことしか書かなかった。
きよしこは言っていた。

「それがほんとうに伝えたいことだったら・・・伝わるよ、きっと」

これは、本来人と人とをスムーズに繋げることを期待してもいい言葉というものに困惑した一人の少年のメッセージである。言葉が自由じゃなくたって、伝えたいことは伝わるのだ。

ゆっくりと話してくれればいい。君の最初の言葉がどんなにつっかえても、ぼくはそれを、ぼくの心の扉を叩くノックの音だと思って、君のお話がはじまるのをじっと待つことにするから

少年は大人になって小説家になったらしい。同じく吃音に悩む子どもたちに、あるいは、なにか他の子と違う、劣っていると悩んでいる子どもたちに今でも力強いメッセージを送り続ける。もし少年が吃音でなかったら、この素敵なメッセージも世界に生まれていなかったに違いない。

ゆっくり歩くほど速くなる世界

少年の内側は豊かだった。他の子たちよりも聡い部分もあった。それが誰にでも分かりやすい形で表現する手段に恵まれなかっただけで、心の中では誰よりも速く歩けるのである。

世界というのは一様ではないらしい。流暢に話せることも素敵な才能であるだろう。それが求められる世界もあるだろう。しかし、それだけではないのだろう。

吃音と共に生きて、外では自由にならなかったからこそ熟成された言葉たちが『きよしこ』にはある。考えすぎて疲れる人へ、そして、そんな愛すべき人をみて一緒に苦しんでいる人へ届けたい言葉がこの本にはある。

この本はあなたに歩くスピードを合わせてくれる。

だから、この本を紹介したくなった。歩くスピードを合わせてくれる彼を、あなたに紹介したかったのだ。

ゆっくり歩こう。時間はたくさんあるのだから。

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