神話と共に生きる(2)

空の輝きの神格ゼウス

中学生だった時、西の空が夕日に染め上げられていくのを見てボーっと立ち尽くしたことがある。夜と昼の境目は紫色に光って、星がちらほらと光っている。センチメンタルな時期だったから立ち止まった、というわけでもないだろう。今でも、そういう空の輝きを見ると、しばらくの間、我を忘れてしまう。

この心の働きは筆者のものだけということではないだろう。読者にもわかってもらえるだろうし、あるいは、古代ギリシア人も理解していた。というのも、「空の輝き」は神格化してゼウスとなったらしいから。

比較言語学や比較神話学の教えるように、ゼウスは本来天空とその輝きを表徴する神格であって、古代インド語(古典インド語といったほうがいい)である梵語の、Dyaus ラテンの lu-piter (piter < pater 「父」はおまけ) と同語である。ギリシアでも Zeus (ゼウスあるいはズデウス)であるが、方言や詩語、俗語などには Zes, Zen, Zan, Den, Dan, Ten, Tan などの異形も見える。

呉茂一『ギリシア神話』1

空を支配するものは天上天下、世界のあらゆることを統べるものとして自然と認められるようになったらしい。

ことに古代ギリシア社会において重要な意義をもち、また当然それ故に、古代社会の反映である上代ギリシア文学にも大きな役割を演じているのは、「主客の義を守るゼウス」(ゼウス・クセニオス)と、懇願者、救いを求める者を庇護するゼウス(ゼウス・ヒケシオス)であった。

呉茂一『ギリシア神話』

「主客の義を守る」というのが少々わかりづらいかもしれない。呉は『イーリアス』を引用してこれを説明していた。

たとえば『イーリアス』の第六書(二一五以下)で、ギリシア方の大将ディオメーデースは敵軍の将グラウコスに出逢い、その氏素性を訊ねて、彼の祖先に当たる英雄ベレロポンテースが、その昔自分の祖父に当たるオイネウスの館にしばらく逗留していたことを聞くと、すなわち戟を収め手をさし延べ、互いに戦うのをやめたばかりか、贈物を交換して別れるのである。そして末先々とも、グラウコスがギリシアへ来た折には自分が宿主となり、また自分がリュキアに赴いたらばグラウコスの館で饗応をうけようと約束する。そこには個人、あるいは家と家との交誼のほうが、国家間民族間の闘いよりも、重しとされていたのである。

呉茂一『ギリシア神話』

個人のもてなし-もてなされる関係、すなわち主客の義が、戦争よりも上に置かれた。争っていても交友関係は続けようと、その主客の義は守られたのだ。

あるいはそうでなければ安寧な毎日を送れないのかもしれない。古代のことだから交通も法律も整ってはいなかっただろう。そんな時世に人のくらしを秩序づけたのは、ある種の「線」だったのではないか。

戦争から「線」を引き、主客の義を守る。あるいは、神助を求める者には、いくらややこしい理由があったとしても、危害は加えない。「線」を踏み越えないことが、人々の暮らしを穏やかにしたのではないだろうか。

空を輝かせ、さらに、地上においては「線」を守らせる力をもった大神ゼウスが、古代ギリシアには君臨していたのだ。

婦人の守護女神ヘーラー

ただ、ゼウスが一人で宇宙を統治していたわけではなかった。日本に八百万の神があるように、古代ギリシアにも一つ一つの不思議の働きに神様や精霊が存すると考えられていたそうだ。なかでも、ゼウス一族が主要な神々としてギリシアの高山オリュンポスに宮居していて、合議で世界のあらゆることを決定し、運営していたのだ。

ゼウスファミリーには、正妻ヘーラー、娘アテーナー、アルテミス、アプロディーテー、ヘスティアー、息子アポローン、ヘルメース、アレース、ヘーパイストス・・・などがいる。

なかでもゼウスに並ぶ権威を持っていたのは、ゼウスの配偶者のヘーラーだった。

ヘーラーは広く婦人を守護する女神だ。

ヘーラーの職分は第一にこのように「テレイアー」(完成者として)、「ガーメリアー」(結婚を司る)、また「ジュギアー」(配偶者の)としてであったが、それらは同時に「エイレイテュイア」(産褥分娩を司るもの・・・)たることを意味し、アルゴスなどでは、この名でも祭祀を受けていた。また「寡婦(ケーラー)」と呼ばれるヘーラーは・・・ここではもっぱら「(夫を)失った者、奪われた者」の表徴として、彼女がゼウスと仲違いをし、独りで蟄居した時代を意味すると解され、あるいはむしろすべての女性の守護神として、夫を失った婦人たちが彼女の庇護を仰ぐべく、または自信を彼女のうちに見いだすために、彼女に与えた称号だっただろう。

呉茂一『ギリシア神話』

このように、女神ヘーラーはすべての女性を守護するものとして仰がれたのだ。

ギリシア神話という世界は、もしかしたら、優しい世界なのではないかと、この記事を執筆していて思った。世界に光を投げて空を輝かせ、そして、争いの絶えない世界から「線」を引いて秩序を保つゼウスと、結婚や出産、夫との死別を守護するヘーラー。ルールと女性を守る力が働いていれば、一応、世界は安定するに違いない。

人と神と祭り

古代の地中海世界の人口はギリシア世界にポリスが出現する紀元前8世紀に約3000万人,ローマ帝国初期の紀元1世紀に約5000万と推定されております。当時の地球全体の人口が3億人前後と推計されておりますので地中海世界としてはかなり人口の多い地域でございました。

青柳正親「ローマ帝国の物流システム」2

上に見るように、紀元前 8 世紀頃の世界は地中海にかなりの人口が集中していたらしい。それだけの大人数が集まって、それでいながら一つの文明文化が興隆した。その力に、もしかしたら神話が貢献していたのかもしれない。

まつりだ まつりだ まつりだ 豊年祭り
土の匂いの しみこんだ
倅その手が 宝物 

北島三郎『まつり』3

人々の一体感を醸成する狂気に祭りがある。大勢集まって、裸になったりして、豊作豊漁に感謝をする。それはもちろん、人知を超えた存在に対して、つまり、神々に対して、である。

人は、ふと仰いだ空の輝きに感動したり、あるいは、季節の節目節目にどんちゃん騒ぎをしたりする。日常でも非日常でも、神々とともにあって、生活が続いてくようである。それは古代でも、現代でも、そうらしいのだ。

  1. 呉茂一『ギリシア神話』(©1994, 新潮社) ↩︎
  2. 宮内庁 HP, 青柳正親「ローマ帝国の物流システム」 ↩︎
  3. 北島三郎『まつり』Uta-Net より ↩︎

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