ヒストリカル・ソクラテス

筆者はある時、大学院でソクラテス研究をしたいと思っていたことがある。

ファイルを整理していたらそのときのメモが出てきたので、それを今回は共有してみたい。

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ソクラテスはいかにエロースを解釈したか―ソクラテス問題の建設的解決の一環として―

研究の契機

本論に入る前に本研究計画の契機を述べる。というのも、この契機が後述するソクラテス問題の解決に向かう姿勢の基調を成すからだ。私が初めてソクラテスに出会ったのは高校生の時だった。倫理の授業で習った時に、深く調べたいと思った。当時、漠然と「学校で学ぶことは何かがおかしい。本当の知識はもっと違うものなのではないか」と考えていた。図書館でプラトンのいわゆるソクラテス文学を読み始め、熱中した。ソクラテスは人生の本当を物語っている気がして、すっかり口説かれてしまったのだと思う。あのときの熱中は何だったのか。心を熱くした、その熱源は何だったのか。もっと深く、正確にソクラテスについて調べてみたいと思った。

そして、ソクラテスに抱いた感動が一層深まった出来事があった。大学生の時、心の支えになってくれていたカウンセラーが急逝した。私にとって、頼りになる人が亡くなる初めての経験だった。最初は狼狽し、悲しみに暮れたが、そのときにふと思い出したのが『パイドン』だった。ソクラテスが死を恐れない理由、魂の不滅の証明を思い返したとき、自然と、故人への思いが片付いたのだ。その人はもしかしたら、生きているころよりも心が自由なのかもしれない、そしてまた、形を超えた存在になったことを喜ばなくてはいけないのではないかと思い立った時に、心が安らいだ。

私は人生の一局面を、ソクラテスのおかげで乗り越えてしまった。どうしてソクラテスの言論にはこんなにもエネルギーに満ち溢れているのだろう。ソクラテスとはいったいどんな人物なのだろう。ソクラテスについて、以前よりも増して知りたいと思った。

本研究の契機は、このような素朴な疑問である。ギリシャ研究者の間でソクラテス問題なるものがあることを知ったのは大学卒業間際のことだ。私がソクラテス問題についてその解決を試みるとき、その背後にある思いは以上に述べたような感動であることを承知していただきたい。

ソクラテス問題の経緯(先行研究)

本研究計画のテーマはソクラテスがいかにエロース(恋)を解釈したかである。このテーマについて述べる前に、これが全体においていかなる位置を示し、何に留意しなければいけないかを述べなくてはいけない。

田中美知太郎『ソクラテス』(岩波新書)によると、ソクラテス問題とは、「ほとんど一体化されているプラトン的ソクラテスから歴史的ソクラテスを区別し出す」ことである。ソクラテスは著作を一切残さなかったから、彼の生死や言行について伝わるところはプラトンをはじめ、アリストパネス、クセノポン、アリストテレスらの間接的伝達に依っている。特にプラトンの対話編は質、量ともに他を凌駕し、「ソクラテスといえばプラトン」というほどに密着している。ここで問題になるのが、ソクラテスの言行はプラトンが自分自身の考えをソクラテスに作中で代弁させているだけなのではないか、という疑いがいつも付きまとうことである。ゆえに、プラトンからは区別された歴史的なソクラテス像、換言すれば、プラトンのバイアスがないソクラテスの全体像が興味の的となるのだ。

ソクラテス問題に取り組むとき、留意したいのがニヒリズム的解決に陥らないことである。ソクラテスの人物像は謎が多く、確かに資料も限定されている。ソクラテスについて知れることはすべて彼のインフォーマント(資料提供者)の主観に少なからず歪曲される。それゆえに極端な説として「ソクラテス文学はすべて虚構であり、歴史的ソクラテスについてわかることは、彼が前399年にアテナイで刑死したことだけである」という考えが浮かばないでもない。しかし、それは人間性についての知見を何ら生まない、無意味な解決である。

ソクラテス問題から何か建設的な価値を見出すことを試みるなら、わたしたちのとるべき態度はソクラテスの刑死のみを事実として認めるニヒリズムではない。むしろ、次のような態度を採るべきだ。すなわち、①ソクラテスをめぐる時間的・空間的情勢を定性的に把握し、②ソクラテスの一つの相を洞察することである。

まずは①ソクラテスをめぐる時間的・空間的情勢を定性的に把握するべきだ。「時間的」にというのは、ソクラテスが歴史上の人物であることを考慮にいれたスコープのとり方である。前掲の田中美知太郎の著にもあるように、歴史上の事実は現在のわたしたちにつながりをもつからこそ事実として認められうる。ソクラテスの言行は他の人たちの心に強烈な印象をのこし、いろいろな反応を呼び起こした。その反応を丁寧に観察し、過去を現在と切り離すのではなく、過去と現在が合成されていると考えてソクラテス問題に挑まねばならない。「ソクラテスの死というのは、ソクラテスだけのことではなくて、プラトンやクセノポンのような、直接にかれを知っていた人たちにとっての共同の事件だったのである。否、それは世界史的な事件として、現在のわたしたちにとっても、忘れられない事件」なのだ。   他方、空間的にソクラテスについて把握するということは、ソクラテスの内面の事情を、古代ギリシャ社会の情勢と照らし合わせて理解するということである。たとえば、ソクラテスは「ダイモンの合図」とか「ダイモンの如きものが合図する」ということをしばしば言うが、理性でとらえられる範囲外の心の作用を外来の出来事として受け取る傾向が古代ギリシャにはあったという。ソクラテスの語る「ダイモンの合図」が特殊のものであるのか、あるいは当時の情勢にとっては比較的共感されうるものなのかを判断することは、異なる時代背景に生きるわたしたちにとっては、ソクラテス理解において大事になってくる。

そして②についてであるが、わたしたちはソクラテス問題に取り組んだ結果、やはり何か一つの相を見出さなくてはならない。①の、ソクラテスをめぐる状況把握においては拙速な単純化を避け、人間が矛盾葛藤の中で生きるように、豊かな複雑性の中で考察を進めなければならない。しかしながらその次の段階において、個々の人間にそれぞれの個性があり、何か「その人らしさ」というものを認めることが許されるなら、把握された情勢から本質を洞察し、ソクラテスについての一つの相を求めてもいいだろう。つまり、「ソクラテスらしさ」を描写することが、ソクラテス問題解決の一つの目標になりうるのだ。

岩田靖夫は『増補ソクラテス』(筑摩書房)において、ソクラテスの相に否定の精神を見ている。いわく、ソクラテスの海神プロテウス的な変幻自在ぶり、とらえようのなさは彼の徹底的な否定の精神に由来するのである。岩田はソクラテスの反駁的対話elegchosの論理構造を次のように考察した。すなわち、ソクラテスは対話相手であるAが命題Pを提出すると、それを反駁の標的にする。ソクラテスはAにいくつかの命題Q,R,Sを提示し、Aにその真なることを承認させたあと、Qをはじめとする各々の命題から非Pを導出するのだ。ここにおいて対話相手のAは非Pの真なることを承認せざるを得なくなり、したがって、Aは反駁されることになる。ソクラテスの反駁的対話は以上の論理構造をもっていると主張されている。ソクラテスの相を否定の精神にみることは一顧する価値がある。その否定の精神からソクラテスの皮肉的態度の説明がつき、また、ソクラテスが否定の矛先を自分自身に向け、常に自己超克しながら哲学していたことを考えれば、ソクラテスの評価がそれを見る人によって大きく揺れ動くことも説明できる。というのも、「ソクラテスはその哲学活動である対話において絶えず対話相手の保持する臆見(doxa)の破壊に従事しているが、この否定の矛先はつねに同時に自己自身にも向けられ、絶えざる自己否定、自己超克、すなわち、いわゆる無知の自覚を結果していた。したがって、ソクラテス自身が、ソクラテスの思想というようなものを語ることを、ある意味では禁じてい」たのであるから、ソクラテスが静的な像として語られることは不適切で、動的なソクラテス像こそ的を得ているということが言えるのだ。

しかしながら、岩田のソクラテス問題の解決には単純化しすぎのきらいも伺える。氏はクセノポンについてはソクラテス問題に大した貢献をしないと断定し、一蹴している。プラトンの描くソクラテスのみに力点を置きすぎていて、他のインフォーマントのソクラテス理解を生かしていない。最終的にはソクラテスの集約した姿を叙述すべきではあるが、その道のりにおいて急激な単純化をすることは避けねばならない。ソクラテス問題は適度に複雑性を保ちつつ、ソクラテス像をボトムアップ型で情報処理しなければ、生産的・建設的に解くことができないのである。

恋(エロース)のこと

ソクラテスをめぐる時間的・空間的な情勢を把握する上ではいくつか鍵となる概念がある。それはたとえば死であったり、反駁、ダイモンの合図、愛知、魂であったりする。こういった鍵概念の中でとりわけソクラテスの複雑性がうかがえるものに恋(エロース)がある。『パイドロス』において、ソクラテスはエロースを賛美し、恋することの有益性を証明した。また『饗宴』においてソクラテスは回想中のディオティマとの問答を語り、エロースがダイモン的性質をもつことを指摘し、やはりエロースを肯定的に捉えている。しかし、『パイドン』やクセノポンの『ソークラテースの思い出』においては極めて禁欲的な、性愛を認めない態度が見られるのである。この振れ幅はどのように理解したらよいのだろう。ソクラテスが恋をどのように解釈していたのか、それを理解することはソクラテス問題の生産的解決に資するものである。

私はソクラテス問題の建設的解決にかける熱意と上記計画をもって貴校を志望する。

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