「和歌」というのを筆者は知っているし、おそらく、日本人であればほとんどの人が知っていると思う。というのも、国語の授業で一度は触れるはずだからだ。古語の五句三十一文字の定型詩のことである。
ただ、なんとなく苦手だった。よくわからなかったのだ。千年以上続いている文学的な営みであるから、きっと何かしら良いものだろうと思いつつも、その魅力が感じられなかった。縁遠い気持ちがしたのだ。
そんな筆者が、学校ではなく、自主的に和歌に興味をもったのは、正岡子規がきっかけだった。ドラマで『坂の上の雲』がやっていて、彼のことをもっと知りたいと思ったのだ。
ストーリーの中で正岡子規は、『万葉集』を褒めたたえて『古今集』をこきおろしていた。人の赤心を詠みこんだ、真実味のある歌こそ価値があると、たしかそう言っていた気がする。
だから、筆者の和歌に対する意見は暫定的に正岡子規に依っていたのだが、標題の渡部泰明著『和歌とは何か』というのを読んで驚いた。
渡部氏の提示するある視点で和歌と向き合うと、歌に込められた思いが迫ってくる気がして、なんかこう、ぐっとくるような、素敵だなと思える世界が広がったのだ。それは、『古今集』の歌でも感じられた。和歌という、今まで敬遠してきた文学に対する向き合い方、面白がり方がわかったような気がして、胸のつっかえがとれた気分がした。
その視点とは何か。それは 演技 である。和歌は演技している。そして演技は、和歌に固有のレトリックによって意味世界に穴をあけられることによって発生するのである・・・
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次回、この『和歌とは何か』の考察を展開していきますが、あらかじめ、和歌的なレトリックの全体像を下記の図で示しておこうと思います。
こうご期待。