子は親を救う~『葬送のフリーレン』考察~

子は親を救う。

もっと言えば、すでに救っている。

なぜなら、子は死と愛の弁証法だから・・・

どうしてこんなことを言い出すのかと言えば、それは『葬送のフリーレン』を考察していて、もしかしたらそんなことが言えるのかもしれないと気づいたからだ。

『葬送のフリーレン』では、フェルンが子、ハイターが親である。フェルンは、育て親であるハイターを救ったと言える。

ハイターがフェルンを救ったのだということは誰でも分かるだろう。しかし同時に、フェルンもハイターを救ったのだという、この方向に気づいていない読者は、作品から受け取れる重要なメッセージを受け取り損ねている。

フェルンはハイターを救ったのだ。この気づきを、「家族」という面倒くさい人間関係に、特に「親」という、何か割り切れない関係に悩んでいる読者に届けたい。

「私ってもう親を救っているんだ」

と思えることから広がる景色が、もしかしたらあるのかもしれない。

今回は、人気アニメから抽出した生きるヒントを共有したい。

ところで『葬送のフリーレン』は一体どのような話だっただろうか?まずはストーリーをおさらいすることから始めよう。

それに「弁証法とは?」と思った読者も多いことだろう。このことについても簡単に触れながら考察を進めていこう。

(本記事の内容は『葬送のフリーレン』の主にエピソード1~2の、フェルンの登場とハイターの死別のシーンを考察します。)

二つの依頼

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あらすじ

『葬送のフリーレン』は、そのタイトルの「葬送」という語からも分かるように、何かと「死」に関わることが多い。まずはヒンメルの死。これは、フリーレンの旅の契機となったものだった。

そして旅をはじめてまもなく、フリーレンはハイターをも弔うことになる。フリーレンはハイターからの二つの依頼に応えた後、ヒンメル歴25年ごろ、聖都シュトラール近郊にてハイターの最期を見送った。

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ところで、この二つの依頼とはいったい何だったか?

フリーレンは聖都シュトラールへの買い出しついでにハイター宅を訪ねた。

そしてハイター宅に向かう途中で紫色の髪をした少女と出会う。少女の案内でハイター宅に着くと、フリーレンはハイターに少女の名前を尋ねた。名をフェルンという。『葬送のフリーレン』での、もう一人のヒロインである。

「何か手伝いがしたい」と言うフリーレンに対し、ハイターは結局、エービヒの暗号解読とフェルンの修行を依頼した。

フェルンの修業の依頼は、もともと「フェルンを弟子に」という依頼だったが、「仲間から預かった子を死地へ送る気はない」とフリーレンに断られている。そこで、エービヒの暗号解読の片手間でいいから修行を監督してほしい、とハイターは譲歩したのだった。

「仲間から預かった子を死地へ送る気はない」という言葉は、フリーレンの素直な本音だっただろう。この言葉を聞いた時のハイターは、少し安心しているように見えた。

ともかく、フリーレンはハイターの依頼を受けて、エービヒの暗号解読の片手間に、フェルンに魔法のレクチャーをしたのだった。

死ぬのなら未来につないでから

ここで、作中の重要な登場人物であるフェルンについて描写が必要だろう。

フェルンは戦争孤児だった。両親を亡くしたフェルンが崖から投身を図っていたところをハイターに保護された。

ハイターは、フェルンの魔法使いとしての素質を見込んで彼女を魔法使いとして育てようとしていた。フェルンは幼いながらしっかり者で、魔力操作に長けていた。

崖の上に立つフェルンを引き留めたとき、ハイターは言った。

私がこのまま死んだら、彼(ヒンメル)から学んだ勇気や意思や友情や、大切な思い出までこの世から無くなってしまうのではないか

ハイターの言葉から、彼の思い、ひいては、おそらく私たちの多くが持っているだろう願いがくみ取れる。それは「何かを未来につないでから死にたい」という願いである。

ハイターの言葉を聞いたとき、フェルンは父母との写真が収められたペンダントを握りしめた。フェルンには大切にしたい思い出があった。両親から引き継いだ魔法使いとしての才能もあった。

ハイターは、この少女を未来につなげたいと思ったのだ。

また、ハイターがフェルンを助けたのは、ヒンメルの影響ゆえだった。「どうしてフェルンを助けたの?」と聞いたフリーレンに対してハイターは「勇者ヒンメルならそうした」と答えた。「そうだね」とフリーレンはうなずいた。

ヒンメルからハイターへ、ハイターからフェルンへと、優しさのチェーンが連なっていく。このように見ていくと、『葬送のフリーレン』はキャラクター同士の優しさが互いに織り込まれて、それが温かさを生む作品でもあると言えるだろう。

「つなぎたい」は矛盾を生む

ハイターは偶然出会ったフェルンを一人前にしたいと願った。フェルンという少女を未来につないでから死にたいと思ったのである。

ただ、ここに矛盾が生じる。なんの矛盾か。ハイターが僧侶であることから生まれる矛盾である。この矛盾から迷いが生まれる。

アニメに限らず現実の世界でも、僧侶という職業は死に対して勇気をもつ生業だと言えないだろうか。「私たちは世界を救った勇者パーティですよ。死後は天国で贅沢三昧に決まっています」と言って、ハイターは女神に仕える僧侶として、死を悠悠と受け入れようとしていた。

しかし、他方で、もっと生き延びたいと思うこともあった。その理由がフェルンだった。

「格好よく死ぬのは難しいものですね」とハイターは言う。ハイターは以前のように豪快に酒が飲めなくなっていた。ハイターは「はっはっはっ」と笑う。その快活な笑い声さえ悲しく聞こえてくる。

ハイターは、フリーレンに「死ぬのは怖くなかったんじゃないか」と聞かれ、「格好をつけていた」と答えた。「死への恐怖は計り知れないものです」とハイターは言う。僧侶という職業として、ハイターは誰よりも「迷いなく死ぬこと」について真面目であったのだろう。

さらに「前よりも時間がほしくなった」と答えた。僧侶として誇れない、ある種、未練がましいセリフである。

ハイターは僧侶としての生き方とフェルンに対する愛情ゆえに矛盾していた、そして迷っていたと言えるだろう。

「あなたは正しい」

ハイターは矛盾を抱き、迷っていた。

そして、それを一番敏感に感じ取っていたのがフェルンである。

いずれではダメなのです!
いずれでは、ハイター様が死んでしまう。

あの方は正しいことをしたのです。
救ったことを後悔してほしくない。

フェルンはひたすらに修行を積んだ。矛盾と迷いを感じているハイターに「あなたは正しい」と伝えるために。

そして、必死の修行の末にフェルンは一枚岩を打ち抜いた。一人前の魔法使いになれたのだ。

ハイターは僧侶として勇敢に死ぬことを練習していた。しかし同時に、何かをつないでから死にたいと、生きることへの執着も持つようになってしまった。生きることへの執着、いわば愛である。矛盾し、悩んでいた。

しかし、その矛盾を昇華したのがフェルンだった、と言えるだろう。

弁証法は矛盾を解決する

「昇華」という言葉は聞き慣れないかもしれない。昇華というのは弁証法と共に使われる言葉だ。

弁証法とは矛盾を解消して、より高次元のものを生み出すことをいう。そして、「より高次元のものを生み出す」ことを昇華というわけだ。

ハイターは矛盾していた。僧侶として勇敢に死にゆくこととフェルンを未来につなげることの間で。死と愛の間で。

その矛盾を解決したのが、まさにフェルンという存在だった。

ハイターはフェルンを残すことで愛を達成し、同時に、死ぬことの受け入れもしたのだ。

フリーレンから、フェルンが一人前になったこと(これからも生きていけること)を聞いたハイターは「明日にでもここを発ってください」と言った。フェルンをこれ以上悲しませたくないと。

それに対してフリーレンは言い返す。

また格好をつけるのか、ハイター。

フェルンはとっくに別れの準備はできている。

お前が死ぬ前にやるべきことは、あの子にしっかりと別れを告げて、なるべくたくさんの思い出をつくってやることだ。

僧侶はかっこよく死ぬことが仕事なのかもしれない。しかし、それよりも重要なことがあるだろう。未来につなげろ・・・フリーレンの言葉にはそのような強いメッセージが込められているように思う。

死ぬことに対する勇気よりも、愛を強く肯定したのだ。

ハイターとフリーレンがいる部屋には陽光が差していた。この陽光は女神さまの導きともいえないだろうか。

ハイターはフェルンを愛して、生に執着した。しかし、そのことを強く肯定することがむしろ、死地へと赴く準備になっていたと言える。

そして、フリーレンはハイターの死をも葬送した。

死というのは、かならず、親しい人との離別を意味する。だから、死と愛とで矛盾する。しかし、フェルンはその矛盾を生き残ること、未来へつなぐことで昇華した。フェルンがハイターを救ったのだ。

子は親を救っている

フェルンとハイターの関係について考察してきたが、これはアニメだけの世界だろうか。いや、きっと私たちに当てはめることもできるだろう。

この記事を読んでいるあなたは生きている。

生きているということは、生き残っているということだ。

それは親から見たら未来に残せたものがあるということである。

それはつまり、親は死と愛の弁証法ができるということだ。

したがって、現に今この記事を読んでいるあなたは、親に死と愛の弁証法をプレゼントしていることになる。あらゆる人は誰かの子どもである。私たち子どもは、ただ生きているというだけで親を救っているのだ。

死生のチェーン

ハイターの死後、フリーレンはフェルンを弟子にして旅を再出発した。フリーレンはフェルンの修行を見てあげていた時、「魔法は好き?」と聞いた。フェルンは「ほどほどでございます」と答えた。

実はこの会話は、フリーレンの師匠であるフランメとフリーレンとのやりとりでもある。ヒンメルからハイター、ハイターからフェルンヘ継承された優しさのチェーンに、フランメからフリーレン、フリーレンからフェルンへとつながるチェーンが後に続いていく。これらのチェーンはいわば命の話である。

死と生がつながって未来へと続いてく。

そのことを優しさのつながりから印象深く描き切ったストーリーが、ハイターの旅立ちであると言えるだろう。

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筆者の井上ひつじは、アニメや文学から大切なメッセージを取り出すことを一つの仕事にしています。

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