誰しも、また会いたいと思う人がいるだろう。
あるいは、これからきっと、そういう人が現れるだろう。
というのは、誰しもが死を経験するからだ。
私たちが経験する死とは、すなわち、親しい人との別れである。
そもそも、死は三種類しかない。
①自分が死ぬこと。
②親しい他者が死ぬこと。
③親しくない他者が死ぬこと。
この三つである。(脚注1)
この中で自分が死ぬことは経験できない。
もし経験した人がいるなら、その人は今この記事を読んでいない。
また、親しくない他者が死ぬことは、向き合えない。
「なんて酷いことを言うんだ!」
と怒り出す人がいるかもしれない。しかし、別段酷いことでもない。
例えば、厚生労働省の人口動態統計を見ると、日本における2022年の死亡者は、156万8961人だったという(脚注2)。
もし親しくない他者の死にも真剣に向き合わなくてはいけないというのなら、私たちは一年で100万回以上も悲しまなくてはいけなくなる。
親しくない他者の死というのは、思い出ではなく、このように数字で捉えられるような出来事なのだ。私たちが実感として経験することではない。
このように見てみると、私たちが経験する死は、必ず、親しい人との別れになる。
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本記事では『葬送のフリーレン』の蒼月草の回について考察する。
この回までにフリーレンはヒンメルとハイターの死を経験した。蒼月草の回では、フリーレンは、記憶の中の故人ヒンメルに語りかける。
それは一体どんな語りかけだっただろうか?エピソードのおさらいをしつつ復習しよう。
また、その語りかけにおいて、フリーレンとヒンメルとのやりとりを仲介する道具立てとして二つのアイテムが登場する。
一つは花。そして、もう一つは魔法である。
花と魔法が、フリーレンとヒンメルの、互いの思いをつないでいるのだ。
どういうことか?詳しく見ていこう。
蒼月草
ヒンメル歴26年、ターク地方にて、道行く人を助けながら魔法収集をしていたフリーレンとフェルンは、老婦人の依頼で、廃れていたヒンメル像を掃除することになった。フリーレンは旅先で手伝いをすると、報酬として民間魔法をもらっていた。
掃除をし終えると、辺りが寂しいから花を植えようという話になった。何の花がいいだろうか・・・考えていた時、フリーレンはふと、ある花を思い浮かべた。
「蒼月草がいい」
時間感覚の差
蒼月草はヒンメルの故郷の花で、ヒンメルが「いつか君に見せてあげたい」と言っていた花だった。フリーレンは「いつか機会があればね」と約束した。
フリーレンは、蒼月草を探索し始める。フェルンが、ヒンメル様のために探すのか、と問うとフリーレンは「きっと自分のため」と答えた。フリーレンは回想する。「花畑を出す魔法」を使ったとき、勇者一行の仲間たちが喜んでいたことを。
蒼月草を探して半年が経過したとき、フリーレンは探索範囲を広げる、と言った・・・
フリーレンの魔法に対する執着は異常だ、とフェルンは愚痴る。フェルンは、あるか分からない蒼月草の探索をフリーレンがなかなか諦めないことが不満だったのだ。
半年は、フェルンにとっては長いが、フリーレンにとっては短い・・・ここにもエルフと人間の時間感覚の差が横たわっている。
ヒンメルとの約束を果たしたいフリーレンと、あるか分からない蒼月草の探索に時間をかけたくないフェルンとで心がすれ違っていた。
不満を打ち明けた時、老婦人はフェルンに「若いわね」と言い、フリーレンに直接気持ちを伝えるよう助言した。フェルンは老婦人の助言に従って、フリーレンに素直に気持ちを打ち明けた。
それを聞いてフリーレンはフェルンの頭を撫でた。しかし・・・
「もうちょっとしたら止めるよ」
とフリーレンは言う。懲りないフリーレン。状況が動いたのは、フェルンが呆れていたときだった。
老婦人がフェルンに渡した近縁種の種を、シードラットがくわえて逃げ出したのだった。
二人はシードラットの後を追った。
死と花
もう使われなくなった古い塔をシードラットが駆け上がっていく。
フリーレンは飛び上がって塔の頂上に着くと、そこには蒼月草が一面に咲いているのだった。
花が、蒼月草が咲き乱れる。
ここで特に印象的だったのは、フリーレンが蒼月草の花弁を、そっと撫でたことだ。
『葬送のフリーレン』には、花を愛でる気持ち、または、花を通した気持ちのやりとりがところどころに見られる。花に、色に、思いを託している。
ヒンメルは、フリーレンの頭に花冠を載せたし、フリーレンはヒンメルを象徴している蒼月草の花弁を優しく撫でた。また作中では、ストーリーだけでなく、オープニングやエンディングでも花があしらわれているカットが多い。
これは想像になるが、『葬送のフリーレン』に花が多くあしらわれているのは、死と花が密な関係を持っているからだと考えられないだろうか。私たちも、死者には花を手向ける。死には花が添えられるのだ。
しかし、それはなぜだろう?
思うに、死というのは必ず親しい人との別れである。人は、自分自身の死体というのに直面することができないし、親しくない人の死には実感が沸かない。そのように考えると、死というのが生々しく立ちあらわるのは親しい人との別離だけになる。
その別れの際に、親愛の気持ちを花に託すのだ。花は、色といい、香りといい、はかなさといい、親しい人への愛情を託すのに都合がいいのだろう。
フリーレンはヒンメルへの親しみの感情を蒼月草で表現する。
ヒンメルとフリーレンは語り合う。
ヒンメルは、美しい蒼月草をいつか君にも見てほしいと。
フリーレンは、時をこえてそれに応える。
あるとは思っていたけど、まさかこれほどとはね
遅くなったね、ヒンメル
このように、ヒンメルとフリーレンは死生をこえて語り合った。その語らいに花は重要なメッセンジャーとして機能している。
魔法と親愛
花が親愛を表現するように、作中では魔法も親愛を表現している。
魔法はあっと驚くようなことをやって見せる。フリーレンは花畑を出す魔法を使える。魔法の杖はぱっと消したり出したりできる。シードラットの足跡を青く光らせて、あとを追うこともできた。
この、人を喜ばせたい、あっと驚かせたいという、一見くだらない理由を、フリーレンはフェルンに分かってもらえると思った。
実際、フェルンはフリーレンとの会話で、以前「蝶を出す魔法」でハイターを喜ばせたことを思い出して、親しい人を喜ばせたいというフリーレンの気持ちを理解した。
『葬送のフリーレン』にはこのように、死、花、魔法といった重要要素が所々にちりばめられている。作品の魅力は、これらの要素の働きにあるといえるのかもしれない。
フリーレンにとっては、魔法収集は親愛表現である。また、フェルンにとっても魔法使いになることが、一つの応える愛だった。
このように、魔法は大切な人とのつながりを表現するツールなのである。
死者との対話
以上のように、ヒンメルとフリーレンは蒼月草を通して語らいあった。故人ヒンメルとの対話である。
死者と対話する。これはオカルトでも何でもない。お盆やハロウィンという行事があるように、誰にも受け入れられる、自然な心情である。
個人的な話をすれば、私は高校生の時に親しい人の死を経験した。私が一番つらいときに、私よりも真剣に、私の問題を受け止めてくれた人だった。
今でもその人に思いを馳せる。
あの時の青い私は、今もこうして生きていますよ。
生きて、あなたから教わった優しい言葉たちを読者に届けていますよ。
『葬送のフリーレン』の花と魔法に彩られたメッセージは、私たちに大切なことを教えてくれる。
親しい人はいつもいるのだと。語り合えるのだと。
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それでは、明日がいつもより少しだけ輝いていますように。
脚注1:落合陽一『落合陽一34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における成長』の養老孟司との対話から学びました。
脚注2:厚生労働省『令和4年(2022) 人口動態統計月報年計(概数)の概況』