喫茶去

このページは「ひつじのエッセイ」のサイトマップです。

読者の皆さんはまず、お腹を満たしてからこのサイトの記事を読んでください。

「ひつじのエッセイ」は空腹を我慢してまで読むサイトではありません。

自分のためにご飯をつくり、お茶を一服召し上がってから来てくださいな。

ご飯を作るのは難しい話ではないです。お味噌汁を作ってください。

ゆるりとお茶を飲むことからはじめましょう。

不思議を物語ろう

お腹が満たされたなら、少し不思議な物語をしましょう。私が今まで出会ってきた物語の内、説明が必要になるような、不思議な物語について考察を加えてみます。物語と言うのは具体的には;

「不吉な塊」に追われた青年が、丸善にレモン爆弾を置いていく物語。

文学的な「吐き気」に関する考察。いつまでも食事は美味しいものであってほしいと望む人は読むことをお勧めしません。

論理と音楽、あるいは、論理と絵画の境目にただよう歌人のお話。

パラダイムシフトしよう

身も心もリラックスできたなら、私たちは私たちの人生をより良く生きるために一生懸命になりましょう。良くなるということは異なる自分になるということです。異なる自分になるためには技術にたよってみましょう。技術というのは、とくに創造性に関わる技術であり、たとえば;

学習法について、ナチュラル・ブリリアンス・モデルやフォトリーディングを紹介します。自らの内で発見されているのを待っている「天才性」についての物語。

創造性に関わる技術と言えば私にとってはこれ。ひつじの人生を決定的に変えた一冊。

とるにたらない、当たり前の必然性をつなげると、時に驚くような真理が発見されます。

論理学を学んでからソクラテスの対話篇を読むと、彼の仕事は演繹であったことがわかります。

論理ではなく、連想によって広がる言葉の世界もあります。

金と茶

いくら創造的なツールを駆使して、不思議な物語を生み出し続けたとしても、その成果の要約として、やはり数字にはこだわりたい。生きることに関わる数字、すなわち、金であり貨幣である。ほっと一服するためにも、お腹を満たすためにも、「人生は金じゃないよ」といって逃げたくはないのです。

ということで、いくつか金、貨幣や経済に関わる話として;

「お金」の正体にエッセイからアプローチしました。

お金を管理する技術として、また、数学的な形式美として複式簿記について考察します。

複式簿記で管理する前に、数字は、売上という形でつくらなければいけない。販売に関することで聞きたいことがあるときは、この人に聞くのがいいでしょう。

貨幣価値の裏付けである、国家についてのお話。

きっさこ?きっさこ!

サイトマップのタイトルである「喫茶去」は「きっさこ」と読みます。意味は二通りあるようで、

・お茶でも召し上がれ
・お茶を飲んでから出直してこい

とのこと。「お茶でも召し上がれ」というのは誤用が定着した使い方みたいで、もともとは「お茶を飲んで修行してこい」ということだったそうです。

「なんと、『お茶でも召し上がれ』のつもりで読者に呼びかけるつもりだったのに、『お茶を飲んで出直してこい』と自分は言ってしまうところだったのか!」

と思って、いったんは引っ込めた言葉。

しかし、私は考えなおしました・・・お茶を一服するだけの修行であれば読者も嬉しいのではないかと。そもそも、生きることのエッセンスは日常の中にあるはず。お茶を一服することにも、一抹の真理があってほしい。

だからあえて言いましょう。喫茶去!

だけど必ず戻ってきて下さいね。